次世代の市場を形成する

育児休暇を自ら取ったことで知られるサイボウズ株式会社の青野氏は、育児をすることが次世代の市場を形成することにつながると語る。

プロフィール

青野 慶久

サイボウズ株式会社 代表取締役社長

1971年 愛媛県生
大阪大学工学部情報システム工学科卒
1997年 サイボウズ株式会社を愛媛県松山市に設立、取締役副社長就任
2005年4月に代表取締役社長に就任する。

 

インターネットの波に乗って

インターネットを使ってサービスや商品を提供する会社が急成長を遂げた例は多いが、サイボウズ株式会社もその一つと言える。
2017年現在、売り上げは約93億円、経常利益約12億円の巨大企業に成長しているが、それを創業当時から引っ張っており、2005年には代表に就任した青野氏である。

社員には休め休めと言っているが、自分は会社で死にたいとすら思っているという青野氏は率先して、育児休暇を取得し、毎週水曜日は出社せずに、家で子育てを行っているという。
その根底には、次世代の市場を形成するという社会を広く見渡した見識が見られる。

プログラマーをあきらめて

もともと、ゲーム関係のプログラマーになりたいと思っていたという青野氏。
しかし、のちにともにサイボウズを立ち上げる、一つ先輩の畑氏のプログラム・コードを見たことがきっかけでプログラマーの道をあきらめたという。
畑氏のコードがあまりにもきれいだったため、自分はここまでにはなれないな、と別の道を模索し始めた。

 

大学を卒業して、入ったのはパナソニック。
当時は松下電工だったが、そこでは100人で3台のパソコンを使うような環境だった。
仕方なく、私物のパソコンを持ち込んで仕事をしたそうだが、そのうち社内のIT化を任されるようになっていったという。

企業のきっかけは社内ベンチャー制度

そんなある日、青野氏は社内ベンチャー制度を使って、システムインテグレーターの会社立ち上げに参加する。
そこで出会ったのが、サイボウズ創業メンバーになる高須賀氏である。
顧客から受注して、システムを作るのが主な仕事だったが、そうなってくると自社のパッケージを作りたくなってくるものらしい。

青野氏は、当時、別の会社で働いていた畑氏も誘ってパッケージを製作したいと考えたが、それがかなわず、それならば、と独立に踏み切ったという。

 

最初は愛媛県の2DKのマンションを借りた。家賃は7万円。
8月に会社登記して、10月にパッケージ販売、12月には黒字に転化した。
それまでは、IBMやマイクロソフトのパッケージが市場に出回っていたが、店舗販売せずにダウンロード販売のみに絞り、コストを下げたことで、10分の1の値段で提供することができた。

その後も順調に成長したが、ベンチャーからの脱却を経て、安定成長を目指す企業へと体質を変えていった。

2000年に東証マザーズ、2002年には東証2部、そして、2006年には東証1部へと上場し、着実に成長を遂げていった。

参考:

https://cybozu.co.jp/company/outline/

http://www.nippon-shacho.com/interview/in_cybozu/2/