世界をつなぐエンターテイメントカンパニーを創る
海外で滞在したとき、人生観が一変した東氏は新しいことに挑戦したいと考え、現在の事業を個人事業主からスタートして、成長させた。
■プロフィール
東 信介
株式会社ライズアップ 代表取締役
高校卒業後、インターネットメディア会社に参画
2001年 韓国でジョイントベンチャーの設立を経験するも、即時撤退、
アメリカでカード決済代行サービスの設立を経験
2002年 個人事業主として「RISE」設立
2003年 有限会社ライズアップ設立 代表取締役就任
2006年 株式会社に改組
日本最大級のコンタクトレンズ通販サイトを運営
カラーコンタクトレンズのネット販売を中心に、いくつかの事業を展開して成長している会社がある。
それが、株式会社ライズアップだ。
Eコマース事業では、10代から30代の若い女性をターゲットにしたカラーコンタクトレンズや、化粧・美容関連の商品を販売している。
さらに別のところでは、ドラッグストア・バラエティショップに商材をおろしたり、商品開発などをトータルプロデュースしている。
また、研究開発部門では社内で必要なツールやシステムを開発して、それを事業として展開している。
そんなライズアップの代表である東氏は、会社、人をワクワクさせるエンターテイメント集団にしていきたいと語る。
海外で人生観が一変した
新しい価値観に触れることで、それまでの考え方が破壊され、何かを生み出すきっかけになることがある。
東氏にとっては、それが前職で経験した海外赴任だったという。
もともと起業は考えていなかったという東氏。
しかし、22歳の時に、知人のインターネットメディア会社に参画して、アメリカで新会社設立を経験する。
ロサンゼルスで、昼は語学学校、夜は仕事をしながら、多くの日本人企業家や留学生とであり、その話を聞くうちに自分の中に湧き上がるものを感じた。
「自分も新しいことにチャンレンジしたい」
そして、帰国後に、個人事業主としてライズを立ち上げた。
いくつかのターニングポイント
創業期はモバイルメディア事業で成長していたという。
しかし、事業を拡大するには組織内部の充実も必要になってくる。ある程度、成長した後に伸び悩んだのは、まさにそれが原因だったが2007年に片腕となる田中氏の入社によってそれは改善された。
東氏が0から1を生み、田中氏が1をから10へと育てる。
そうして、役割分担することで会社の業績はまた伸び始めたという。
さらにもう一つの転機はオフィスの移転だった。
売上が創業以来最低になってしまったのは、顧客至上主義で、一緒に働く人たちのことまで気に掛けることができなかったから。
赤字であったのに、より広い場所に起業移転したのは従業員の働きやすい環境を整えるためだった。
それを契機に福利厚生にも取り組み、東氏も社員と積極的にコミュニケーションをとることで、風通しもよくなった。
3つ目の転機はカラーコンタクトとの出会いだ。
2009年の薬事法改正で、販売認可が必要になった時、田中氏がいち早くそれを取得して、インターネットでそれを積極的に販売したことで、現在の主力事業となっている。
変化をくりかえしていくこと
事業に大切なのは分野を考えながら、変化を繰り返していくことだという東氏。
将来のビジョンは「世界をつなぐエンターテイメントカンパニーを創る」だという。
私たちは人と人とのつながりを大切にし、世界中で愛される商品やサービスを生み出したいと考えています。人を笑顔にしたり、ワクワクさせる。そんなエンターテイメントを生み出す集団でありたいですね。
参考:http://v-tsushin.jp/interview/riseup_47/