「これから」

官僚的と言われた日本ペイントで、子会社に中途入社して上り詰めた田堂氏は、同社の新しいあるべき姿を模索する。

 

■プロフィール

 

田堂哲志

 

日本ペイントホールディングス代表

 

同志社大学経済学部卒

医療機器専門商社、外資系船舶用エンジンメーカー、

1983年 日本ビー・ケミカル(現日本ペイント・オートモーティブコーティングス)に中途入社

2006年 取締役兼執行役員

2007年 北米の現地子会社を立てなおし

2009年 日本ビー・ケミカル社長就任

2013年 親会社の日本ペイント取締役兼上席執行役員も兼務

2014年 持ち株会社制への移行

2015年 代表取締役社長就任

 

 

アジアNO1の総合塗料メーカー

 

日本ペイントは1881年に創業した総合塗料メーカーだ。

創業200年以上のいわゆる老舗といわれる企業は、日本に3000社ほどあるそうだが、そのなかで積極的に海外展開していこうとする会社は少ないようだ。

日本ペイントはそんな数少ない老舗の一つと言える。

柱となる事業は自動車の塗装。

世界の自動車の生産比率では、日本は20%超に過ぎず、残りの80%ほどは海外メーカーとなっており、今後も日本メーカーを中心顧客として事業を展開していくことは変わらないが、その代表の田堂氏は海外の顧客も積極的に狙っていきたいと考えているという。

 

また、同程度の規模で、同業種の会社に関西ペイントという会社がある。

日本ペイントの上には、常に関西ペイントがいたが、近年の田原氏の大規模な構造改革や体質改善によって逆転する。

しかし、田原氏は結果的にそうなっただけだと語る。

事実、関西ペイントも日本ペイントと同様にグローバル化を進めており、日本の二社が地球規模の供給体制を整えようとしていると認識されていると語る。

 

 

非エリート

 

田堂氏は、日本ペイントに入社してから一筋でやってきて社長に代表にまでなったわけではない。

もともとは、親族が医療機器専門商社をやっていて、いずれそこに合流したいと考えていたという。大学卒業後に別の医療機器専門商社に入って、修行をする。

しかし、もっとビジネスを多面的に学びたいと考えた田堂氏は、外資系企業への転職を考えた。

ただ、せっかく入った外資系の企業も業績の悪化。3年ほどで撤退。

職を失った田堂氏は、幼かった子供の幼稚園の送り迎えをしながら、次の仕事を探すことになる。

そののち、日本ペイントの子会社である日本ビー・ケミカルに入社。

当時は、終身雇用制が当たり前で転職するたびに条件は悪くなるのが当たり前だったので、生え抜きにはない武器が必要だと田堂氏は考えたそうだ。

 

 

これから

 

その後、日本ペイントの代表にまで上り詰めた田堂氏。

構造改革を進めて、関西ペイントを抜いたとは言え、会社の構造を統一し、再設計を行っている。

そんな田堂氏の頭の中には常に、「存在していることだけに価値を求めるような企業ではありたくない」という思いがある。

そのためには企業価値を高めて、会社の可能性を広げていかねばならない。

グローバル化もその一環であり、もう引き返すことはできないと話す。

2020年を目安に実態の伴ったグローバル化で、売上一兆円を目指す。

その時に、また、「新しいあるべき姿」が見えてくるだろうと語る。

 

 

 

参考:https://diamond.jp/articles/-/116769

https://diamond.jp/articles/-/88637?page=6